生命も物もモノゴトも
みんな大日如来の
なかの物語

真言密教は、リアルな現実世界を大切にしています。そして未来も現実。それは 真理 というしかなく、本尊は 真理 ということもできます。あまりに途方もないので、大日如来 と呼び、仏像や曼荼羅に表現して視覚化し、礼拝を通じて供養や祈祷を執行してまいりました。
また、この世界は衆生とよばれる生きとし生けるものすべてを含んで成り立っており、五感で観ることのできるこの世界は、どこをとりましても大日如来ということになります。大日如来は、三密 という、身体からだ・言語ことば・意識こころ、の相互作用と絶妙なバランスをもって、我々と御仏は合一しているのだという、世界の平等性をその御威光を放って常に説いてくださっています。

煩悩も含めて
自分自身だから
心に素直に楽しんで

煩悩即菩提。欲望にもいろいろありますが、何かを求める意欲というのもまた、実に尊いものです。欲望を滅却しようとすると、なにかと無理が生じます。むしろそのチカラはエネルギーとなりえますので、生命活動に生かしましょう。心中燻っているより、ずっと燃焼して人生を駆け抜けていくほうが、よほど有意義です。蠟燭の灯火は、少し風が吹けば黒煙を発します。外からのショックを受け流して、完全燃焼を心がけましょう。目先の些細な欲求=小欲が、自他ともに幸せになるような大いなる欲求=大欲につながるものであればよい、と考えます。

あなたのままで
悟りにとけあってゆく
即身成仏ということ

あらゆる一切のモノとコトが、平等に存在しています。しかも、自と他はけして隔絶してはおらず、常に融和しています。目に見えなくて触れられないからといって、無である空間は微塵もありません。あなたとわたしの間には、距離感というものがあるだけで、端から端まで何らかの物質で埋め尽くされています。離れているように見せているもの。見えざる接点。これをと呼ぶことができます。我々と、とりまく身の回りの世界はリアルに同期しているのだ、という世界の捉え方。これが即身成仏という発想であり、真言密教の極みです。同時性に二義あり。
一つにはリアルタイムであること。simultaneous=即身
二つには コ・イグジスタンスであること。yoga=成仏
すべては平等性を悟るための鍵となります。大師の想いを、祈りを、できるだけ正確に受け取りましょう。そのセンスを磨くことも可能です。